ごく普通の男子部員が創価学会に思うこと
どうも、なげっとです。
私は25歳の現役男子部員、祖母の代から続く創価学会3世です。
学会員の両親のもとに生まれ、間もなく入信し現在まで創価学会として生きてきました。今は「地区リーダー」という名ばかりの役職につきながらも男子部の先輩とともに地域組織の将来を担う者としてのプレッシャーを感じております。
とここまで書きましたが、私は創価学会の活動自体に昔から疑念を持っています。
元々そこまで熱心な信者ではなく親に言われるがままに会合に参加したりするのみで、自ら進んで活動することはありませんでした。
そして今年の7月に私の母親が53歳の若さで癌で死去しこれまでの疑念が爆発。
私の一家は今、転機を迎えています。
強情な母は「いつもは題目あげなくても人生の節目には必ずあげなさい」と私に言い、私も高校受験や大学受験の際は必ず親子で題目をあげ、合格を勝ち取ってきました。
一家を引っ張っていたのはいつも母。
経済的には父が中心とは言っても対外的には恐らく母の方が一家の顔としてずっと暮らしてきました。
そんな母が癌と判明し闘病生活を始めたのが2年ほど前。そして今年の6月に入院をしてからあっという間に逝ってしまいました。
病状が悪くなり入院して主治医から「持って1ヶ月」と宣告されてから父は「お母さんのために毎日朝と晩に1時間題目をあげます」と言い妹2人と共に毎日の唱題をスタート。
母が死んだ今も毎日の唱題は続いています。
父は「お母さんに感謝してお題目をあげなきゃだめだ!」と自分や妹の仕事の休みなど関係なく朝6時には叩き起こし勤行。起きてこないと大声で「勤行するぞ💢起きろ💢」とブチギレて起こしに来ます。
お母さんのための勤行?
起きてこない自分たちに怒ってイライラして、じいちゃんに当たり散らして怒鳴り散らかしてからする唱題がお母さんのため?
ふざけるなよ。
結局はお前の自己満足だろ。祈って病気が治るのか?幸せになるのか?そんな簡単な事ならこの世の人間はみんな平和に暮らしてる。
母さんは癌には勝てなかった。
もっと生きたかっただろうに、やりたいこともあっただろうに。親より先に死ぬのは絶対にダメだと言っていたのに。
葬式の際に学会の人間が事あるごとに口にした「お母さんはあなた達に病気と闘う立派な姿を見せた。あなた達もお母さんの生き様を心に刻んで生きてね。」という言葉、何も響かない。
私としては親としての姿を「生きて」見せて欲しかった。
私は12月から実家を出て一人暮らしを始めます。理由は父と同じ空間で生活したくないからというのと学会の組織と距離を置くため。
自分のプライベートの時間を潰してまで下らない唱題や折伏という名のマルチ商法やねずみ講のような迷惑活動をするつもりはありません。